7.14.2012

働くということ

数ヶ月前に、織り布を頼んでる村の人に、「ゆうこから注文されてる布は単価が安いのでもう織れない。」と、言われました。

つまり、あまり儲けにならないということでした。

フェアな働きをしてると勘違いしてたわたし。彼らにとって満足のいくものではなかったのです。

「それならそうと満足のいく値段を言って!」と、言いました。
唐突に「もう織れない。」と言われてかなりショックでした。

よくよく話をしていると、手紡ぎコットンの値段が2倍にも上がってしまったことが原因だったらしいのです。古くから、暮らしの中で無農薬のコットンを育てる。育てるというより、勝手に育っていた野生のコットンの木たち。それを手軸で糸にする作業も昔から普通に行われていたことも、
日本の人が、出入りすることで、村の人にとって価値があることを意識付け、値段も上げてきたのでしょう。

たしかに手のかかる作業ではあります。

わたしは、そこの村に注文する一人、
多く注文する人たちに、高く買ってくれる人たちに、卸すことで彼らの収入もぐんとアップするのです。そんなことを考えたらわたしの場合、ちょこっと注文、しかも統一した色ではなくいろいろな色。
そんな注文の仕方、村の人にとってフェアじゃなかったのです。

人と人はつながってる、どんな形、その形にこだわらずになにか、どこか、ちょっとでも役にたてていたらいいなという思いは、幻想だったんだなぁと思いました。

みんな生きるために必死です。

で、いろいろな話をまた彼と会ってすることができました。
わたしの働くという方法を伝えました。

なんと彼は十分にそれを理解していてくれたようで、
ビジネスは絶対的に儲けるということばかりではないと話してくれました。
わたしよりもすごーく年下なのに。。。
その一言で、安心。
わたしたちがフェアなかたちで、働きのつながりを見直すことができました。

働くということは、お互いに気持ちがよくなくてはいけないなぁとつくづく思います。
そうでなかったら結局いい働きをして、その働きで、多くの利益があったとしても
その働きに関わっている全体のこころに通い合いがなければ、その働きは無駄なのかな?とも思えます。
もちろん、お金は必要なのかもしれませんが、わたしにとって心の部分は大きい源です。この部分は、けしてお金には変えられませんもの。

わたしの今回の選択は、村のコットンの木を譲り受け、自分で育ててみるです。
そして、染師のウィくんに染めてもらいます。
腰織りは、また別の村で。。。

働きは今までどおりですが、いろいろな場所にまたがっていきます。

少しの間、村わたのしるしに村わたマークをつけていましたが、そのマークもつけません。
村わたの呼び名はそのままなので
これからも村わたをよろしくおねがいします☆彡





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